稼ぐことは記録を伸ばすこと

たくさん稼ぐことは、百メートルを早く走ることと似

ている。

 

誰でも10秒を切ることができるわけではない。

 

ただ、練習をし続けることで今よりも速く走ることはできる。

 

練習を続けると記録が伸び、サボると記録は落ちる。

 

そして、走ることをしなければ記録は出ない。

絶え間ない修練が結果を生む。

 

たくさん稼ぐということ、つまり

ビジネスで成功する度合いというのは

100m競争に似ていると考えた。

 

つまり、どんなに練習しても、11秒を

切れない人はいるわけで。

 

月収100万円を超える事ができない

人はいるわけで。

 

才能があるから、誰もが思い通りの収入を

得られるわけではない。

 

これは厳然たる事実として覚えておく

必要がある。

 

夢だけが大きすぎると、逆に絶望感が

増えてくるわけだ。

 

さて・・・

 

では練習をしなくていいかというと、

そういうわけではない。

 

練習をすれば、それなりに速く走ることが

できるようになる。

 

もちろん、同じ練習をしても、記録の

伸びに個人差は出てくる。

 

1年練習して0.1秒速くなる人もいれば

0.5秒速くなるような人も出るだろう。

 

つまり、ビジネスを1年頑張ったとして

100万円多く稼げるようになる人も

いれば、1000万円多く・・・という人も

いるわけで。

 

そして、忘れてはいけないのは

 

「練習を続けないと記録は落ちる」

 

ということ。

 

修練しないと、つまり、ビジネスの種を

蒔き続けないと売上や利益は徐々に落ちて

行く。

 

もっと言うと、完全な不労所得というのは

存在しなくて、どんなにラクなビジネスに

見えても、継続的なメンテは必要。

 

例えがイマイチだが・・・

 

(1)ビジネスには才能が必要

 

(2)才能が少なくても修練すれば利益は出る

 

(3)サボればすぐに売上・利益は落ちる

 

ということ。

 

僕は才能がそれほどないので、そのあたりは

わきまえつつ・・・

 

サボらずに売上・利益を上げられるように

修練を続ける。

 

それしかできないので、そればかりを人よりも

たくさん続ける。

 

稼ぐ人の日頃の振る舞い

(1)稼ぐ人は発するメッセージが違う(基本、ネガ

ティブなことは言わない、にこやか、他人への配慮が

ある)

 

(2)稼ぐ人は会計の時に自分から支払お

うとする(僕が出すのが当然だと思っていたけれど、

例外なく率先して支払いの意思表示をしてくださった)

 

リアルに体感した気付きは大きい。

 

これらはコンサルティングで感じだこと。

 

結果が出ている人は気配りが出来る人。

 

そして発言も表情も明るい。

 

改めて体感して新鮮な感動を得た。

 

しゃべっていて

 

「ありがとう」

 

「楽しい」

 

という言葉がよく出てくる。

 

基本、プラスなメッセージが多い。

 

表情も緊張しておらず、明るい感じ。

 

そりゃそうだよな。

 

仕事をするときは基本、人を相手に

するわけだから、暗いと人もお金も

集まってこない。

 

ネガティブな発言ばかりだと、人に

嫌われるし、結果、お金にも嫌われる。

 

当然なんだけれど、リアルに会うと、

如実にそれが体感できて新鮮だった。

 

会計の時も、「払いますよ」という

セリフがポーズではなく本心で出る。

 

慌てて僕が支払うわけだけれど、

気持ちがいいな・・・と。

 

気配りって、相手の気持ちを明るく

する手法なんだな。

 

だから、人付き合いではちょっとした

気配りが大切なわけで。

 

僕もまだまだできてないけれど、

ちょっとしたことを続けていこう。

 

気配りは人間関係の潤滑油。

 

油を切らすとギスギスするからね。

 

ちょっとでもいいので、油を絶やさぬ

ようにしよう。

 

中途半端な情けは誰のためにもならない

思いやりや余計な親切は身を滅ぼすな。

 

まず自分が持たなくなる。

 

そして相手の成長も潰してしまう。

 

甘やかされた子供がいい例。仕事も同じ。

 

国家レベルでも同じ。

 

できるだけ補助しない、最低限の手助けしかしない。

 

基本、自助努力が必要なんだな。

この原則が貫かれないと、甘えとたかりを生む。

 

最近、痛切に感じていること。

 

少なくとも、

 

「自助努力」

 

は、絶対に必要。

 

自分のために、最低限、しっかり仕事する。

 

甘えているヤツは守らない。

 

すべての人がこの原則を守れば、日本は

もっと住みやすくなるんじゃないかな?

 

財政赤字だって、結局「個々人の甘え」な

わけであって。

 

商売していると、そういうことがよく

わかる。

 

反論もあるかも知れないが、基本的に

 

・何もせずにお金が欲しい

 

人が多い。

 

日本人は口を開けて餌を待っている池の鯉

 

と、大前研一氏が言ったが、その通り。

 

数年前まで僕はお人好しだったので

 

「助けて欲しい」

 

と言われたら、

 

×その人の努力を見ずに補助

 

してしまっていた。

 

結果・・・

 

100%その人達はいい方向へ行かな

かった。

 

×高給を保証した社員が働かず敵前逃亡

 

×助けて欲しいと5万円貸したらその後連絡なし

 

×事業がしたいと100万円出資したがグダグダ

 

×同様に170万円貸したらその後連絡なし

 

僕の「人を助けたい」という考えがそもそも

間違っていたわけで。

 

今、考えていることは

 

「困っているからお金を貸して欲しい」

 

という場合は、100%貸してはダメだと

いうこと。

 

たとえ親類でも。

 

日本で、普通に教育を受けて五体満足で

生活できるなら、

 

困っている=自助努力をしていない

 

ということなので、結局、努力が足りない

わけ。

 

鬱病とやらで働けず、生活保護を貰っている

知人がいる。

 

今の日本でこれを言えば袋叩きに遭うの

だろうけれど・・・

 

甘いんだよね。

 

鬱病になるぐらいヒマなわけで。

 

鬱病になるぐらい何もしていないわけで。

 

自殺も鬱病も、「豊かに国に多い」。

 

インドの道端で生まれた子供は自殺する

ヒマもないという。

 

「今日生きるのに必死」だから。

 

鬱病なんかになるヒマもないという。

 

「明日食べられるかどうかわからない」から。

 

自殺したり、うつ病になるというのは、

豊かな証拠、ヒマな証拠。

 

だから、豊かでヒマな人を過剰に保護する

のは道理にあわないと考えている。

 

極端な例を出したが、他でもいっしょ。

 

税金にたかる人達もみんないっしょ。

 

救済システムは、自助努力したひとだけが

受けられればよい。

 

自分で行動しない輩は、補助が受けられない

という原則を作ったら、みんなもう少し

頑張ると思うんだけれどな。

 

会社で人を使うときも、いっしょ。

 

結果がでない奴はすぐにカット。

 

親類への温情も絶対にかけない。

 

働いた分だけ給料を渡す。

 

ラクはさせない。

 

ダメなら首切り。

 

当たり前の原則を貫く。

 

畑岡宏光の仕事観

ラクをするために、誰よりもたくさん働いてしまう。

 

で、徐々にラクになりつつも、仕事が楽しいのでたく

さん働いてしまう。

 

これが、稼いでいる人の本当の姿なんだろうな。

 

昔コンサルティングでも話が出たけれど、

 

「セミリタイアすると早く死ぬ」

 

という、データがあるらしい。

 

つまり、人間は

 

◯体も心も動かしてこそ健康維持出来る

 

◯心身共に動かさないのはストレスになる

 

ということ。

 

健康でハツラツとして楽しそうにしている

人って、仕事が充実しているんだろうな。

 

だから、健康に長生きして人生を楽しむ

ためには、楽しく仕事する必要がある。

 

しんどい仕事はやっぱりイヤなので

ラクになるように仕組みを作りたい。

 

で、その仕組を作るために必死に働く。

 

つまりラクをするために必死に働く。

 

もっとラクをするために、もっと真剣に

働き続ける。

 

そして・・・

 

徐々にそれが楽しくなっていく。

 

つまり仕組みが稼ぎ、それが積み重なって

大きくなるのが楽しくなる。

 

ゲームの最高得点を更新する感覚。

 

他の人が到達してないであろう山頂へ

登頂成功する感覚。

 

だからやめられなくなって・・・

 

続けていると、また稼げてしまう。

 

こういうスパイラルが最高だな。

 

好きな仕事をするのもいいけれど、

仕組みを作ること自体が楽しい仕事を

選ぶというのも基準にしたい。

 

つまり・・・

 

「好きな仕事をして稼ぐ」

 

というのは、多くの人には不可能だから、

自分の脳力で

 

「仕組みを作ることができる仕事」

 

を、選んで稼ぎを積み重ねる、ことが

肝になるんじゃないかな。

 

抽象的だけれど。

 

僕自身はそこを狙っているし、徐々に

成果が積み重なってきているので、

この道を歩き続けるつもり。

 

恐怖心を力に変える

◯人は人、自分は自分。

 

◯だから自然体で。

 

◯自分でできることを淡々と。

 

こういう気持ちで、とあるパートナーは仕事を続け、

ずっと稼ぎ続けている。

 

僕と比較すると、心が安らかで安定していて、

そしてモチベーションも高く、羨ましい状態。

 

でも、心が安定していてモチベーションが高い

というのは、僕には理解できないので、何が

彼を動かしているのかという、そういう話に

なった。

 

※モチベーションが高い人はどこか心に

※歪みやコンプレックスみたいなものを

※持っていると考えているから、心が

※安定していてモチベーションが高いと

※いう状態は僕には理解し辛い。

 

結論としては

 

◯心の底にある貧乏への「恐怖」

 

◯いつでも這い上がれるという「余裕」

 

つまり、彼の心の中には

 

「恐怖」と「余裕」

 

が、同居しているらしい。

 

恐怖心が彼を動かし、いつでも這い上がれるという

余裕が、心の安定をもたらす。

 

そういうことかな?

 

嫉妬心をパワーに変える

「どうやったらもっと効率的に稼げるか?」

ということを常に考えている。で、イライラもする。

 

世の中には僕よりもはるかに効率よく

安定した収入を確保している人がたくさんいる。

 

持ってはいけない気持ちなのかも知れないけれど、

嫉妬心が噴火するわけで。

 

でも、これが利益の源泉なのかも。

 

人知れず、月に3000万円以上、安定して

稼いでいる人を何名か知っている。

 

これは売上や月商という話ではなくて、

 

「営業利益」の話。

 

もちろん彼らなりの悩みはあるだろうが・・・

 

悩みが大きくても、個人レベルの起業で、

毎日100万円の営業利益が出るのであれば

それはもう、あり得ないほど凄いわけで。

 

だから、そういう彼らと自分を比較すると

自分の出来なさ具合にガックリとくる。

 

孫さんや柳井さんや三木谷さんとは

レベルが10ランクぐらい違うので、

比べるべくもない。

 

事業ドメインや目指す方向が違うし、

嫉妬すらできない。

 

ただ、個人レベルの起業となると・・・

 

自分と比較してしまうし、自分に対して

腹が立つし、嫉妬もしてしまう。

 

彼らよりもさらに安定した収入源を

複数持ち、追い越すために・・・

 

◯このアウトプットを続け

 

◯日々、収入の流れについて考え

 

◯リスクを考えつつ手数を増やして実践

 

することが必須。

 

他人と比較している時点でダメなのかも

だけれど、これがパワーの源泉なので、

この気持は素直に認めたい。

 

陸上競技をしていた時も、ライバルに

記録を抜かれると、負けん気が燃えて

その時に自己最高記録が出ることが

多かった。

 

だから嫉妬心やコンプレックスって大切に

すべき感情なのかも。

 

情報の価値判断の尺度を持つ

「目標がはっきりしない人は、単純に経験不足。

自分が何を好きか判断する材料がない。

つまり、判断基準が自分以外のものになる。

仕事が~、お金が~、時間が~、と言って、何をするか決めてしまう。

自分で判断できないから、会社やサイフや時計に判断を委ねる。」

 

パートナーの参考になる意見。

 

ここでも判断基準の話が出てきた。

 

偶然のシンクロだな。

 

「情報の価値判断の尺度を持つ」

 

ためには、

 

◯経験を積むこと

 

◯何を好きか判断する材料を得ること

 

が必要という話。

 

判断基準が自分以外のものになると

目標がはっきりせず、会社やサイフや

時計に判断を委ねるということだな。

 

セミナーで質問を受けたことがある。

 

「どれくらい時間を割けば稼げますか?」

 

「どれくらい自己投資すればいいですか?」

 

厳しいようだが、これらは「愚問」。

 

やりたいことがあれば、好きなだけやれば

いいわけで。

 

稼ぎたければ、稼げるまで諦めずにやれば

いいわけで。

 

目標があれば、自己投資なんて概念もなく

なって、勝手に勉強するだろうし。

 

「毎日6時間、時間を割けば儲かります」

 

「年100万円自己投資すれば成功します」

 

って、そんなラクな話はないわけで。

 

そういう、分かりやすい基準なんて、人生を

生きて行く上で、絶対にない。

 

つまり自分が判断基準を持っているかどう

かは、質問の中にも現れるわけだな。

 

「◯◯したら◯◯になるでしょうか?」

 

というような疑問を心に抱いているようだと

ダメだってこと。

 

価値基準を自分の外に求めず、内に求める。

 

発散した解説になったが・・・

 

自分自身に言い聞かせていることも含め

書いてみた。

 

楽しみの質について。

「テレビのバラエティ番組を見て楽しい」という楽しみと、

「長年のトレーニングがもたらす達成感が楽しい」という楽しみ。

 

この2つについて考察。

 

「テレビのバラエティ番組を見て楽しい」

というのは【刹那的な楽しみ】。

 

「長年の修練がもたらす達成感が楽しい」

というのは【成長的な楽しみ】。

 

1つ前、2つ前のツイート解説と絡むが、

情報弱者は、

 

【刹那的な楽しみ】

 

を、求める傾向がある。

 

つまり自分の「外部の楽しみ」を求める。

 

※絶対にそれが悪いわけじゃない

※頻度の問題ね

 

楽しみの判断基準も「外部」にある。

 

自分で人生を切り開く人、情報に左右され

ない人、価値基準を持っている人は

 

【成長的な楽しみ】

 

を、求める。

 

つまり自分の「内なる楽しみ」を求める。

 

これ、人を見るときの、重要な指標に

なるんじゃないかな?

 

人を雇うときに、

 

「何を楽しみとしていますか?」

 

と聞いてみる。

 

あるいは

 

「自分の外部から得られる楽しみは?」

 

「自分の内なる楽しみは?」

 

という聞き方でもいいかも知れない。

 

この答え方次第で、本質がわかる気が

してきた。

 

聞いても本当のことは言わないかも

だから、その人の動きを見ていても

いいかも。

 

情報の重たさを認識する

情報弱者は、情報の「重量」をリアルに感じ取ることができない。

 

つまり、目の前を通り過ぎる情報はすべて同一の「薄っぺらな

物」として認識している。

 

故に、重要な価値ある情報を見逃す。

 

さらにタチの悪いことに、情報を無料でよこせと要求する。

 

これからも同じようなことを何度か書くかも。

 

うまくいく人とそうでない人を分かつものの

1つに、「情報力」がある。

 

僕の「情報弱者」のイメージは・・・

 

テレビのダイエット情報に影響されて、

すぐにそのダイエット方法を試してしまう。

 

テレビ~新聞などの情報を盲信する。

 

よさげなものにすぐ飛びつく。

 

・・・・・

 

自分自身の価値判断基準を持たず、目の前を

通過する情報をぼんやりと追うだけ。

 

判断基準が曖昧で弱いため、自分の単純な

興味や欲でしか情報を判断できない。

 

こういう状態だと・・・

 

今の情報過多な社会では生き抜けない。

 

昔は、テレビや新聞・雑誌などの大本営

発表を見て、それを判断すればよかった。

 

大本営発表だけに信頼できないなぁ・・・

ということが理解できればよかった。

 

でも今は・・・

 

ネット社会になり、個人が自由に情報を

発信できる時代。

 

つまり、マクロ新聞社やマクロテレビ局が

無数にあるイメージ。

 

だから、正しい情報も間違っている情報も

有象無象にあるわけで。

 

特定の情報源だけを見て、それを鵜呑みに

しているようでは、情報弱者の度合いが

高まるだけ。

 

対策は1つだけ。

 

情報判断の価値基準を自分自身の中に

持つこと。

 

例えば・・・

 

稼ぐ系の情報だと、地味なもののほうが

信頼できる、という基準。

 

信頼できる人の情報は信頼できるもので

ある可能性が高い、という基準。

 

多くの情報は、自らの都合の良いように

加工されているから、50%程度しか

信じないという基準。

 

多くの人が飛びつく情報からは、敢えて

距離を置いてみるという基準。

 

これは僕の基準でもあるのだけれど、

これらの基準が身についてくると、煽られたり

騙されたり、特定の人の都合の良いように

操作されたりすることがなくなる。

 

多くの人が行く方へ行ったほうが気分的に

ラク。

 

自己責任で判断するのは孤独な作業だから。

 

でも、それに耐えてこそ得られるものが

あるわけで。

 

「人の行く裏に道あり花の山」

 

というのは、情報の価値判断の尺度を

持ちなさいという教えでもあるんだな。

 

基本、資本主義は

 

「かっぱらいあい」

 

という側面もあるから、かっぱらわれない

ように情報武装することが必要。

 

それが、

 

「情報の価値判断の尺度を持つ」

 

ということなわけで。

 

いや、これ、本当に大切だ。

 

これからも違う側面から何度か書きたい

ネタだな。

 

所与の条件の中で最大限のことをする

無いものねだりをしても、時間の無駄。

 

うまくいく人とそうでない人を分かつ物。

 

それが

 

【所与の条件の中で最大限のことをする】

 

ということだと考えている。

 

人生を切り開く、ビジネスをする、楽しく

日常生活を送る・・・

 

様々な状況の中で「制約条件」というのは

絶対的に発生する。

 

最も基本的な制約条件は

 

2019年の日本で生活している

 

ということ。

 

さらに、「性別」「年齢」という制約条件が

あり・・・

 

職業や住んでいる場所や家族構成や自分の

持って生まれた能力など・・・

 

挙げるとキリがないほど、生きて行く上では

制約条件が溢れかえっている。

 

うまくいく人は、その制約条件の中で

最大限の努力をする。

 

うまくいかない人は、制約条件を批判する。

 

これが、大きな差を生む。

 

(事例1)震災での原発事故について

 

 政府や東電を批判するのも結構だが、

 彼らは「絶対に」変わらない。

 

 であれば、批判は無駄。

 

 避難するか、その準備をしつつ、

 普通取りに生活をするのが賢明。

 

(事例2)アンドロイド携帯の電池について

 

 すぐに電池の残量が減ることについて

 不満を言っても仕方がない。

 

 今の技術レベルがそういうものだから。

 

 そういうものだと知り、自分でどうやって

 電源確保するかを考える。

 

 これが賢明(僕の場合は「楽しい」)。

 

(事例3)オッサンプロジェクトについて

 

 うまくいかないことを愚痴っても

 仕方ない(でも愚痴るけれど(笑))。

 

 オッサンを選んだのは僕。

 

 プロジェクトを考え出したのも僕。

 

 だから、オッサンが軌道に乗る手助けを

 しつつも、次の策を練るのが賢明。

 

(事例4)アプリ開発について

 

 理想型は頭にすぐに浮かぶが、技術的な

 制約や、開発メンバーの少なさという

 制約がある。

 

 何とかしようと足掻いても、事態は良く

 ならない。

 

 今の技術、今のメンバーで出来る最高を

 求めるよう方向づけるのが賢明。

 

(事例5)税金に群がる人達について

 

 政治家・官僚・補助金大好き人間に

 ついて批判しても仕方がない。

 

 江戸時代から変わらぬ体制だし、

 そういうものだと知ることが大切。

 

 日本の安全かつ物が溢れている環境に

 感謝しつつ日常生活を営むか、それ

 ほどまでにイヤなら国外に行く準備を

 しておくのが賢明。

 

・・・・・

 

事例がイマイチで練れてないが、

 

批判するなら、自分が行動を起こした

ほうがいい

 

ということか?

 

制約条件は多いから、その中で、できる

ことをやってみる。

 

そういうマインドが大切。

 

自分自身、このマインドは強化されつつあり、

 

・議論好きな輩

・クレーマー

 

を見ると、「消えてくれ」と心底思うように

なっている。