会社を大きくするために必要なもの。
前者はアイデアを出したり、いい話を持って来てくれたりする人達で得難い
パートナー。
後者は、周辺業務を任せ、事業を円滑に進めるための人々。
それぞれの見つけ方、使い方を考察し続ける必要あり。
事業は人、だから。
これらは書いてみれば当たり前だけれど、
自分があまりできていなかった区別だ。
現在の課題は
「時給報酬系の人」
を、採用して管理し、マニュアルにて一定
品質の作業をしてもらうこと。
「成功報酬系の人」
は、まわりにたくさんおり、彼らとの共同
プロジェクトは何度も体験しているので、
これは問題ない。
ただ、個人起業家のみが集まって立ち上げる
プロジェクトは、売上に限界がある。
年間1~2億程度に落ち着く場合が多い。
この壁を超えるには・・・
つまり、事業規模を大きくするには・・・
「時給報酬系の人」
を増やしていくしか無い。
特に、アフィリエイトの作業の場合は。
◯ドメイン取得
◯サイト作成
◯簡単なSEO対策
◯リンク貼り
◯ブログ作成
◯記事作成
こういう単純作業+αのものは、外注にて
作業化する。
アフィリエイトだけではない。
今後の会員制ビジネスを大きくするためにも
サポートに外注さんを入れていく必要が
あるかも。
当たり前すぎるんだけれど、なぜかあまり
意識していなかった。
最近は事業を大きくしようと考え始めている
ので、気がついたのかも。
「時給報酬系の人」の採用方法は?
管理方法は?
そして、「時給報酬系の人」に効率良く
仕事をしていただくための仕組みは?
この3点を考えること。
「目標がはっきりしない人は、単純に経験不足。
自分が何を好きか判断する材料がない。
つまり、判断基準が自分以外のものになる。
仕事が~、お金が~、時間が~、と言って、何をするか決めてしまう。
自分で判断できないから、会社やサイフや時計に判断を委ねる。」
パートナーの参考になる意見。
ここでも判断基準の話が出てきた。
偶然のシンクロだな。
「情報の価値判断の尺度を持つ」
ためには、
◯経験を積むこと
◯何を好きか判断する材料を得ること
が必要という話。
判断基準が自分以外のものになると
目標がはっきりせず、会社やサイフや
時計に判断を委ねるということだな。
セミナーで質問を受けたことがある。
「どれくらい時間を割けば稼げますか?」
「どれくらい自己投資すればいいですか?」
厳しいようだが、これらは「愚問」。
やりたいことがあれば、好きなだけやれば
いいわけで。
稼ぎたければ、稼げるまで諦めずにやれば
いいわけで。
目標があれば、自己投資なんて概念もなく
なって、勝手に勉強するだろうし。
「毎日6時間、時間を割けば儲かります」
「年100万円自己投資すれば成功します」
って、そんなラクな話はないわけで。
そういう、分かりやすい基準なんて、人生を
生きて行く上で、絶対にない。
つまり自分が判断基準を持っているかどう
かは、質問の中にも現れるわけだな。
「◯◯したら◯◯になるでしょうか?」
というような疑問を心に抱いているようだと
ダメだってこと。
価値基準を自分の外に求めず、内に求める。
発散した解説になったが・・・
自分自身に言い聞かせていることも含め
書いてみた。
「テレビのバラエティ番組を見て楽しい」という楽しみと、
「長年のトレーニングがもたらす達成感が楽しい」という楽しみ。
この2つについて考察。
「テレビのバラエティ番組を見て楽しい」
というのは【刹那的な楽しみ】。
「長年の修練がもたらす達成感が楽しい」
というのは【成長的な楽しみ】。
1つ前、2つ前のツイート解説と絡むが、
情報弱者は、
【刹那的な楽しみ】
を、求める傾向がある。
つまり自分の「外部の楽しみ」を求める。
※絶対にそれが悪いわけじゃない
※頻度の問題ね
楽しみの判断基準も「外部」にある。
自分で人生を切り開く人、情報に左右され
ない人、価値基準を持っている人は
【成長的な楽しみ】
を、求める。
つまり自分の「内なる楽しみ」を求める。
これ、人を見るときの、重要な指標に
なるんじゃないかな?
人を雇うときに、
「何を楽しみとしていますか?」
と聞いてみる。
あるいは
「自分の外部から得られる楽しみは?」
「自分の内なる楽しみは?」
という聞き方でもいいかも知れない。
この答え方次第で、本質がわかる気が
してきた。
聞いても本当のことは言わないかも
だから、その人の動きを見ていても
いいかも。
情報弱者は、情報の「重量」をリアルに感じ取ることができない。
つまり、目の前を通り過ぎる情報はすべて同一の「薄っぺらな
物」として認識している。
故に、重要な価値ある情報を見逃す。
さらにタチの悪いことに、情報を無料でよこせと要求する。
これからも同じようなことを何度か書くかも。
うまくいく人とそうでない人を分かつものの
1つに、「情報力」がある。
僕の「情報弱者」のイメージは・・・
テレビのダイエット情報に影響されて、
すぐにそのダイエット方法を試してしまう。
テレビ~新聞などの情報を盲信する。
よさげなものにすぐ飛びつく。
・・・・・
自分自身の価値判断基準を持たず、目の前を
通過する情報をぼんやりと追うだけ。
判断基準が曖昧で弱いため、自分の単純な
興味や欲でしか情報を判断できない。
こういう状態だと・・・
今の情報過多な社会では生き抜けない。
昔は、テレビや新聞・雑誌などの大本営
発表を見て、それを判断すればよかった。
大本営発表だけに信頼できないなぁ・・・
ということが理解できればよかった。
でも今は・・・
ネット社会になり、個人が自由に情報を
発信できる時代。
つまり、マクロ新聞社やマクロテレビ局が
無数にあるイメージ。
だから、正しい情報も間違っている情報も
有象無象にあるわけで。
特定の情報源だけを見て、それを鵜呑みに
しているようでは、情報弱者の度合いが
高まるだけ。
対策は1つだけ。
情報判断の価値基準を自分自身の中に
持つこと。
例えば・・・
稼ぐ系の情報だと、地味なもののほうが
信頼できる、という基準。
信頼できる人の情報は信頼できるもので
ある可能性が高い、という基準。
多くの情報は、自らの都合の良いように
加工されているから、50%程度しか
信じないという基準。
多くの人が飛びつく情報からは、敢えて
距離を置いてみるという基準。
これは僕の基準でもあるのだけれど、
これらの基準が身についてくると、煽られたり
騙されたり、特定の人の都合の良いように
操作されたりすることがなくなる。
多くの人が行く方へ行ったほうが気分的に
ラク。
自己責任で判断するのは孤独な作業だから。
でも、それに耐えてこそ得られるものが
あるわけで。
「人の行く裏に道あり花の山」
というのは、情報の価値判断の尺度を
持ちなさいという教えでもあるんだな。
基本、資本主義は
「かっぱらいあい」
という側面もあるから、かっぱらわれない
ように情報武装することが必要。
それが、
「情報の価値判断の尺度を持つ」
ということなわけで。
いや、これ、本当に大切だ。
これからも違う側面から何度か書きたい
ネタだな。
マーケティングでは、15年ほど前までは、
「有名な人」に集まる傾向が強かった。
まだその傾向はあるが、
どちらかというと、多くの人が「有名な人」になりた
がる状態が強くなっている。
「私を見て!」を支援するサービスを考える必要があるな。
「みんなが主役」な時代になって大体10年。
誰もが、ツイッターやフェイスブックなどの
ソーシャルメディアでの情報発信が
生活の一部になっている。
そして、「個人ブランディング」も盛ん。
この流れについて2つ、考えていることが
ある。
(1)個人ブランディングのサービス
結局、ツールを作る人が、安定的に
稼げるわけで。
だから、個人ブランディングのサービスや
ツールが売れると考えている。
実際に、今、フェイスブックでそういう
動きが大きい。
ファンページのテンプレートの作り方が
売られていたり、テンプレートそのものも
光学で販売されている。
人を集める手法も、本質的なものから
小手先なノウハウまで、
「ここぞ」
とばかりに出回っている。
今からやっても、少し遅いか?
そして・・・
(2)そもそも素人がやったとしてもね
これは僕らしい毒舌なんだけれど、結局
素人や実績ない人が、必死になって
ブランディングしても・・・
それは
「メッキを綺麗に磨きましょう」
ということなので、意味が無いとも
考えている。
実績ある人、実力ある人って、磨か
なくても光っているわけで。
メッキじゃなくて、中身が詰まって
いるわけで。
だから、フェイスブックで商売しよう!
個人ブランディングしよう!
ファンページに人を集めよう!
ってやっても、実力ない人は中身
スカスカで、やっぱり稼げない。
メルマガの決意表明でも書いたこと
だけれど
「本質が大切」
だな。
そこを磨かずに、背伸びするな、と。