情けをかけたら巡り巡って
自分に返ってくるということらしいが
・・・ 情けをかけたら、調子に乗らせてしまうだけ。
仕事がなくて困っている人に仕事を渡して、
仕事はできない、言い訳ばかりするで、
恩のかけらもない。
だから仕事がないわけで。当たり前か。
僕は基本的に、お人好しなところがある
ので、情けをついついかけてしまう傾向
がある。
それが、大きな失敗の原因になることが
多いと実感。
最初に雇った、仕事がなくて困っていた
ヤツも、まともな会社で働いたことが
ない親類も、
「かわいそうだな、面倒を見ようかな」
という考えで採用した。
一番の間違いは、
(1)能力がない人間を雇った
(2)情けをかければ頑張ると予測した
ということ。
仕事がなくて困っているのは、多くの
場合、その本人に能力がないわけで。
稀に、能力があるのに仕事がない人も
いるけれど、あまり見たことがない。
やはり、
能力がない=だから仕事がない
という等式が成り立つわけ。
そして、こちらが情けをかけても、
仕事がない人って、基本、感謝の
気持ちも能力もないから、
「自分に実力がある」
と勘違いしてしまう。
そして、能力もないのに自己主張だけが
暴走し始めて・・・
情けをかけてもらっていることすら
分からない状態になってしまう。
恩を仇で返すとはまさにこのこと。
そういう不義理を働いているから、
何時まで経ってもまとまなしごとに
ありつけない。
世の中の道理だな・・・と。
ということで、仕事においては、
「情けは人のためならず」
は、通用しないと体感。
当たり前だが、仕事が出来る人にのみ
お金を支払う。
仕事には、「こだわりと合理化の混在」
が必要ではないだろうか?
細かいところまでこだわって創り上げる。
ただし、合理化も怠らない。
当たり前のことだけれど、聞いたことがない概念だな。
どこにこだわるか?どうやって合理化するか?
そしてこだわりも合理化できるのか?
考えみよう。
こだわりと合理化。相反する要素だけれど、
両方共ないことには稼げない。
こだわりは、絶対に必要。
サービスにもマーケティングにも。
こだわりがないことにはエッジが生まれず
その他大勢と同じになってしまう。
しかし・・・
こだわりには時間がかかる。
細部までの作り込みを行うと、時間と
精神力を浪費する。
だから、こだわり過ぎると、稼げなくも
なってしまう。
だから、合理性も必要。
気をつけるべきは、合理性を追求しすぎると
こだわりが消えてしまうということ。
つまり・・・
「こだわり」と「合理性」という相反する
要素を同時に追求していく必要がある。
現状での僕なりの考えは・・・
サービスやマーケティングの方針は、僕が
「こだわり」を持って考える。
つまり、大きな方向性は、僕が責任を
持って「こだわり」を持って確定する。
そして、そのプランを実行に移す際に
「合理性」を追求する。
つまり外注を使ったり、パートナーに
仕事を割り振って、プロジェクトを加速
させる。
これが今のところの最適解かな。
ということで、良きパートナーと外注さんに
巡り会えますように・・・
月に数百万円の利益を出す商売人に
共通している項目について、というお題。
1つだけこれだ!というものあり。
それは「自分を信頼している」こと。
つまりどんなことでもいいから自信を持っていること。
この自信が、自身の人生のコントロール感に繋がる。
毎月◯百万円稼ぐ女史と食事をして、
盛り上がった話題。
彼女は昔、内気すぎて、何も言うことが
できないぐらいの女の子だったらしい。
男児のいたずらで肩を脱臼しても、黙って
ただ、涙を流すだけ。
その彼女が、小学校を卒業するときには
人が変わった。
ある時身長が徐々に伸び始め、走るのが
速くなって、その事実で
「私ってイケてる?」
と、自信をつけて・・・
その後は、勉強もできるようになり、
中学時代なんて、ずっと「オール5」
だったとのこと。
つまり、この
「私ってイケてる?」
という感覚が「自信」なわけであり、
その後の彼女の快進撃の原動力に
なった。
今、うまくいっている人は、大小関わらず
「成功体験」を持っている。
その成功体験をもとに自信をつけて、
さらに大きな成功へ・・・
これが一般的なパターンだと思う。
この体験がない人は弱い。
いや、成功体験があったとしても、それを
ふくらませることができない場合は、
後が続かないのか?
あるいは、本当に成功体験がない場合も
あるんだろうな。
ここまで書いて思った。
若い頃に成功体験が無い人はどうすれば
いいのか・・・と。
これは自分で小さな成功体験を積む
しかない。
ただ、それが難しいわけで。
40歳を超えて起業した人の成功確率は
極端に少ないと、メンターから聞いた。
20代で起業するのが一番いいらしい。
失敗も成功も、体験が多く積めるから。
このあたりはよく覚えておくほうがいい
かもしれない。
若い人に豊富に起業体験を積んでもらう。
サラリーマン家庭で育った人が、
いきなり稼ぎ始めると・・・
親、兄弟、親族から妬みやっかみを受ける。
お金を渡しても「宝くじに当たったようなものだから、
お裾分けしろ」ぐらいの感覚で、感謝されない。
というか、たかられる。
同じ経験をした人の話を聞いて妙に納得した。
稼ぐ女史と話しをしていて盛り上がった話題。
血は同じでも才能は違う。
血は同じでも世の中の見え方は違う。
血は同じでも考え方は違う。
以前、資産家が書いた本で印象的な
記述があった。
「お金を稼ぐと、まずは近しいものから、
つまり親類からたかられる。
その次に友人、さらにその次に・・・」
というようなことが書いてあった。
最初に読んだときは
「親類は裏切らないでしょ」
と、思っていたが・・・
これは間違いだと、気付かされた。
つまり、たとえ血を分けた親類であっても、
才能も能力も努力も意思も考えも全部違う
訳であって・・・
特に、商売人の家系でない場合は、
その家系は「お金に対する耐性」が
ない場合が多いから・・・
突然に「稼ぐ人間」が出てくると、やはり
たかられる結果になる。
恥になるので詳しくは書けないけれど、
例えば、月に50万円以上の給料を渡し、
都内の20万円の家賃のマンションに
住まわせて、仕事は月に5日もないという
超優遇された待遇をしても・・・
いざ、仕事をしろと命令したら
「それは~な理由でできません」
「それは意味がわかりません」
と、敵前逃亡。
普通、優遇をしてもらったら、その恩を
返すために必死で働くものだと僕は
考えていたが・・・
それは、甘かった。
人は、親類であっても、そして優遇を
していても、簡単に裏切るものだと
思い知らされた。
自分の権利は120%主張する。
悪いことをしても、全力で言い訳する。
しんどいことからは真っ先に逃げる。
こういう性向があるとは知っていながらも
親類だし、しっかりとした待遇をすれば
必ず恩を返してくれると考えた僕が
甘かった。
親類であっても、愚かな人間は愚かな
人間で、その素性は変わらない。
だから・・・
身内であっても、親友であっても、
恩師であっても・・・
その能力を見て雇うべきだし、仕事量に
応じてお金を支払うべき。
この原則を破ると、会社は傾く。
親類故に、クビを切るのもタイヘンだしね。
外野がうるさいから。
「頑張っているんだから」
「あなたの責任で雇ったんだから」
といって、本人の出した「結果」は
絶対に問わない。
あくまでも感情論。
今の日本の悪しき構造と一緒だな。
・ラクをして金が欲しい
・仕事はしたくない
・雇用を守れと声高に叫ぶ
つまり、アホを守れと言っているわけで。
仕事をしない、生産能力のない輩に
金を払えと言っているわけで。
そりゃ無理だよね。
妙な親切心や、意味不明な優しさって
人をダメにするよな。
日本全体に蔓延するこの病。
なんとかならないかな。
ま、僕は、実力のないヤツの面倒は
金輪際見ないけれどね。
分相応の給与や成功報酬を払うだけ。