情報弱者は、情報の「重量」をリアルに感じ取ることができない。
つまり、目の前を通り過ぎる情報はすべて同一の「薄っぺらな
物」として認識している。
故に、重要な価値ある情報を見逃す。
さらにタチの悪いことに、情報を無料でよこせと要求する。
これからも同じようなことを何度か書くかも。
うまくいく人とそうでない人を分かつものの
1つに、「情報力」がある。
僕の「情報弱者」のイメージは・・・
テレビのダイエット情報に影響されて、
すぐにそのダイエット方法を試してしまう。
テレビ~新聞などの情報を盲信する。
よさげなものにすぐ飛びつく。
・・・・・
自分自身の価値判断基準を持たず、目の前を
通過する情報をぼんやりと追うだけ。
判断基準が曖昧で弱いため、自分の単純な
興味や欲でしか情報を判断できない。
こういう状態だと・・・
今の情報過多な社会では生き抜けない。
昔は、テレビや新聞・雑誌などの大本営
発表を見て、それを判断すればよかった。
大本営発表だけに信頼できないなぁ・・・
ということが理解できればよかった。
でも今は・・・
ネット社会になり、個人が自由に情報を
発信できる時代。
つまり、マクロ新聞社やマクロテレビ局が
無数にあるイメージ。
だから、正しい情報も間違っている情報も
有象無象にあるわけで。
特定の情報源だけを見て、それを鵜呑みに
しているようでは、情報弱者の度合いが
高まるだけ。
対策は1つだけ。
情報判断の価値基準を自分自身の中に
持つこと。
例えば・・・
稼ぐ系の情報だと、地味なもののほうが
信頼できる、という基準。
信頼できる人の情報は信頼できるもので
ある可能性が高い、という基準。
多くの情報は、自らの都合の良いように
加工されているから、50%程度しか
信じないという基準。
多くの人が飛びつく情報からは、敢えて
距離を置いてみるという基準。
これは僕の基準でもあるのだけれど、
これらの基準が身についてくると、煽られたり
騙されたり、特定の人の都合の良いように
操作されたりすることがなくなる。
多くの人が行く方へ行ったほうが気分的に
ラク。
自己責任で判断するのは孤独な作業だから。
でも、それに耐えてこそ得られるものが
あるわけで。
「人の行く裏に道あり花の山」
というのは、情報の価値判断の尺度を
持ちなさいという教えでもあるんだな。
基本、資本主義は
「かっぱらいあい」
という側面もあるから、かっぱらわれない
ように情報武装することが必要。
それが、
「情報の価値判断の尺度を持つ」
ということなわけで。
いや、これ、本当に大切だ。
これからも違う側面から何度か書きたい
ネタだな。