畑岡宏光の起業物語 〜前編〜

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起業物語(0) 起業のキッカケ

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1995年、上場会社に入社するも、手取り給料が20万円を切る生活に

嫌気が指していた僕は、それでもこの状況をなんとかしたいとボンヤリと

考えていた。

 

老後の生活どころじゃない、老いる前の生活も「食うや食わず」の状態。

 

自分は「水呑百姓」のような人生を送るために生まれてきたわけではない。

 

そう考えながらも、何も為す術がなく、フラフラと生きていた。

 

人生の転機は突然にやってくる。

 

僕の場合は、コンビニで何気なく手にとった400円の単行本が、人生の

転機になった。

 

「お金を得する情報源」(今は絶版だと思う)、

 

この何気ない本の何気ない1行の文章が人生を変えた。

 

「30歳までに100万円を貯金できない人は一生お金に困るでしょう」

 

この文章を見て、雷に打たれた(実際に打たれたことはありませんが)よ

うな衝撃を受けて、その翌日に、僕はお金を奪うもの、つまり

 

車 と 単車

 

を、売り払った。

 

ここが起業の始まりだったのかもしれない。

 

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起業物語(1) ショッキングピンクの本

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売り払ったお金は読書に使った。

 

当時、自分で商売をすることなどは思いもつかなかったので、

相場師(今風に言うと「トレーダー)になることができれば

いいと思っていた。

 

40歳までに2000万円を貯蓄。

 

それを30~40%ぐらいで運用できればいいな・・・と。

 

まずは、投資の本を買いあさり、営業途中の時間に

読んでいった。

 

毎日毎日、本屋(秋葉原の「書泉ブックタワー」)へ

通い、お金がないときは立ち読みを、

 

少しお金に余裕がある時は何冊かを購入。

 

そういう感じで読んでいった。

 

人生はどこで変わるかわからない。

 

いつもの本屋で、相場の本を見ていた僕は、

マーケティングコーナーにあった、ショキングピンクの

ケバケバしい本を手にとったのだった。

 

あの本に触れた瞬間。

 

それが、直接、起業につながった瞬間だった。

 

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起業物語(2) 人生を変える本

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40歳前後の起業家は、誰でも知っているだろうけけれど

 

「あなたの会社が90日で儲かる!」

 

という、神田昌典さんの本。

 

詳しい内容は忘れたものの、立ち読みをしたときに

 

「商売って面白いなぁ!」

 

と、感じることができた。

 

そして、「自分も商売をやってみたい!!」と

思うようになってきた。

 

そして、この本がきっかけとなり、相場の勉強は

ほどほどにして・・・

 

僕は、マーケティングやお金儲けや億万長者系の

本を読みあさるようになった。

 

人生に大きな影響を与えた本は下記の3冊。

 

(1)「金持ち父さん貧乏父さん」

 

(2)「となりの億万長者」

 

(3)「億万長者入門」

 

今となっては、有名になりすぎた感があるものの、

どの本も、出版されてすぐに買い、何度か読んだ。

 

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【裏編集後記】起業物語(4)

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家の中に売るものがなければ、それで終わり・・・

 

とはならなかった。

 

「出品したものに値段がつく」

 

という単純なことが楽しくなり、ついには

仕入れをするようになった。

 

初期に販売したものは本当に「小さな」もの。

 

※当時はお金がなかったし

 

・住宅展示場でもらえるマスコット人形

 

・靴を買ったときにおまけでもらえるバッグ

 

・コンビニでもらえる景品類

 

こういうものを手に入れたら、すぐにオークショに

出品するようになった。

 

無料で頂いたバックが5000円ほどで売れた

こともあり、こうなってくると、さらにヒートして

深みに?ハマっていった。

 

無料でもらえるものから、有料の仕入れに進化

しわたけだ。

 

当時は、ブランドブームの黎明期。

 

まずは、フランスの高級ブランドのレアな商品を

仕入れて売ってみた。

 

4万円で買ったものが5万円で落札されたりする。

 

手取り給与が20万円なかった僕に取ってこれは

大きかった。

 

さらに高級なレア商品を仕入れるようになり・・・

 

最盛期は40万円で仕入れたバックが80万円で

落札されるようにまでなった。

 

2000年6月に初めて出品してから2年ほどで、

高級ブランドバッグでそれなりの利益を出せる

ようになってきた。

 

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起業物語(5)オークションの次のビジネス

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さらに仕入れに熱中し、ヨーロッパでセールが

行われる時期には必ず渡航。

 

会社の有給休暇をフルに活用して、年に2回、

1回につき5日程、仕入れ旅行に行っていた。

 

他の出品者と「差別化」するためにヒネリを

入れることも必要。

 

そこで、セール品に「ヨーロッパセール情報」という

冊子をつけるようにしてみた。

 

結果・・・

 

9000円ほどで買った手袋が4万円に。

 

25000円で買ったバッグは6万円に。

 

冊子をつけただけでなく、文面の工夫や、その

文章の装飾にも工夫を凝らし・・・

 

自分の「しかけ」が落札金額に反映されるのを見て

手応えを感じ、

 

【商売って楽しい!】

 

と実感できるようになった。

 

さて・・・

 

ブランド品もブームが加熱してくると、仕入れも

難しくなってくる。

 

さらに一工夫が欲しい。

 

そこで、僕は思い切った行動(今からみれば小さな

ことだが)に出た。

 

情報を単体で出品しようと考えた。

 

当時は、オークションで情報・ノウハウという

「無形」のものを販売していた人はいなかった。

 

そういう中、果たしてコンテンツが売れるだろうか?

 

そもそも、そういう「行為」が許されるのだろうか?

 

この2つの不安がつきまとった。

 

前例のない出品形態であり、何が起こるか分からない。

 

ただ・・・

 

迷っていても、まさに「何も始まらない」。

 

2002年8月、「レアなブランド品を買う秘訣」

というノウハウをオークションに出品した。

 

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起業物語(6)コンテンツ販売の夜明け

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出品はしたものの、「モノ」ではないため、

商品写真がない。

 

そこで、PDFファイルの表紙を画面コピーして

商品写真とした。

 

ブランドバッグの写真が並ぶ中で、1つだけPDFの

表紙が、妙に目立つ。

 

果たして落札されるのか?

 

データだから数量は「無限」にあるものの、

稀少価値?を出すために、数量は「5個」とした。

 

多くの方に見ていただけるよう、出品期間は7日。

(当時は10日だったかな?)

 

そして・・・

 

2002年8月3日 23時29分

 

数回の自動延長の後に、5冊とも無事に落札された。

 

落札金額は、当初の予測を大きく超えて・・・

 

1冊が2万円。

 

この1回の出品で、手取り給料の半分を手にした。

 

成功体験が得られると、

 

【不安】 は 【確信】 に変わる。

 

次の出品に備え、情報の内容をブラッシュアップ。

 

そして、オークションの説明文も、もっと興味を

持って見ていただけるように何度も書きなおした。

 

思えばこの時に、コンテンツ販売のセールスレター

を書く「基礎練習」をしていたのだと思う。

 

出品はさらに加速していった。

 

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起業物語(7)コンテンツ販売加速

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レアなブランドものを手に入れる方法は、

4万円の価格を付けるまでになった。

 

そして9月には僕の手取り給料よりも多い

利益を出した。

 

10月の売上~利益はさらに多額になったが

11月からはこれが減少に転じた。

 

ここで、終わるわけにはいかない。

 

さらに貪欲に売上と利益を追求するために、

今まで僕がオークションで経験したことを

冊子にまとめてみた。

 

・オークションを使って家計をラクにする方法

 

・オークションを使って給料以上に稼ぐ方法

 

この2つのコンテンツを、複数のカテゴリに

出品。

 

さらに、ヒネリを入れて

 

「書籍」+「書籍を読んで稼いだ実践記」

 

という形態でも情報を販売。

 

今から振り返ると、稚拙な手法~内容だった

けれど・・・

 

当時としては最先端のビジネス手法であり、

利益もさらに膨らんでいった。

 

もちろん、反省点も多い。

 

この黎明期の時期に「徹底的に」ビジネスを

極めなかったこと。

 

そして、販売を安定させる仕組みを作らなかった

こと。

 

これは、未だに悔やんでいることであり、同時に

いつも僕について回っている問題でもある。

 

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【裏編集後記】起業物語(8)インフォストア契機

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オークションでのコンテンツ販売を続けるも、

徐々に「場」が荒れてきた。

 

黎明期で基本、「やりたい放題」な市場だった

から、普通のコンテンツは売れなくなってきた。

 

オークションからホームページへ。

 

そういう流れが必要だな・・・と考えながら、

当時、関心のあった

 

「アメリカでのコンテンツ販売」

 

の、セミナーに出席をした。

 

転機は

 

【人との出会い】

 

が、もたらしてくれる。

 

このセミナーで名刺交換をしたのが、Eストアーの

社長さんだった。

 

彼も、車・船が好きだということで、意気投合。

 

日本で初めてとなる、

 

「コンテンツ販売のASPをつくろう!」

 

という話になった。

 

これが、インフォストアが生まれた瞬間。

 

2004年2月6日のことだった。

 

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【裏編集後記】起業物語(9)上場企業との契約困難

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日本で、コンテンツ販売のASPを初めて作る。

 

チャレンジングなプロジェクトだったが、壁は

多い。

 

(1)胡散臭い個人起業家と上場企業のタイアップ

 

(2)日本初で前例がなく、営業方法が分からない

 

(3)もちろん、売上・利益の予測がつかない

 

まずは、プロジェクトが本格的に始まる前に、壁が

立ちはだかった。

 

つまり、あまり実績のない個人起業家1名と、上場

企業のタイアップビジネスというのが最初の壁。

 

大企業には大企業なりのビジネスのやり方・作法が

ある。

 

そして、それは個人の僕には受け入れられないもの

であることも多い。

 

上場企業と実績のない個人起業家のビジネス契約。

 

結論を言うと、双方の弁護士を入れて、契約締結まで

2ヶ月弱の期間を要した。

 

「ビジネスを、素早く進めて稼ぎたい」

 

これは、双方同じ気持だが・・・

 

「得体の知れない個人起業家相手で大丈夫か?」

 

という、あちらの思いと、

 

「規模は大きいが、融通が利かな過ぎ!」

 

という、こちらの思いがあって、”妥協点”を

見出すのに時間がかかった。

 

システム開発やインフラ提供は全て先方の役割。

 

営業・企画については全て僕の役割。

 

そして利益は折半。

 

文字で書けばこの3行で収まるが、この契約をする

のに50日ほどかかった。

 

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【裏編集後記】起業物語(10)厳しい船出~暗中模索

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2004年11月1日、インフォストアが無事に

オープンした。

 

とはいっても・・・

 

当時は、ヤフオクで、怪しい情報がやり取りされて

いる程度の市場。

 

コンテンツ販売をしている人も数名だし、情報販売の

アフィリエイターがいるわけでもない。

 

こういう

 

・どうしていいかわからないとき

 

・前例がない事業を立ち上げるとき

 

は、ただただ、その時にできるとことをするしか

ないわけで。

 

当時のメルマガ仲間や、メルマガで知り合った

人々に地道に営業をしていった。

 

前例がないし、新しい業界を作るという試みだが、

手応えがないわけではなかった。

 

コンテンツ販売をしたい!

 

ネットで効率よく稼ぎたい!

 

という思いは、起業家の「水面下の欲望」として

確実に存在した。

 

インフォストアの説明をすると

 

「それ、使わないとバカだよね」

 

と言ってくれる先輩起業家もいた。

 

そして1ヶ月が経過して・・・

 

初月の売上高の報告があった。

 

19,000円

 

開発に一千万円以上の費用をかけた仕組みは、

そして、時代の最先端を走っているはずの

ASPは、初月、お小遣いレベルの売上しか

生み出さなかった・・・

 

営業利益は1,900円程度。

 

今で言うと、小学生のお小遣い程度か。

 

今でこそ、年間、数百億円レベルの規模になって

いる業界も、黎明期にはこれぐらいの規模しか

なかった。

 

最悪、機動に乗らないかもしれないな・・・

 

当時はそう思いつつも、営業を続けた。

 

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【裏編集後記】起業物語(11)メルマガ起点の光

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2004年12月14日。

 

情報起業業界に大きな出来事が起こった。

 

1日で1000万円の売上を達成するという、

事例が生まれた。

 

今でこそ当たり前になっているが、これだけの

爆発的な売上が上がったのは・・・

 

(1)有力アフィリエイターが付いていた

 

(2)値上げ直前であった

 

ということ。

 

ノウハウの販売者は、業界で人とのつながりを

広くもっており、ノウハウの値上げ直前に

有力起業家やアフィリエイターがこぞって

メルマガで宣伝。

 

僕も、一晩で70万円以上のアフィリエイト

報酬を得ることができた。

 

このイベントには光と影の2つの側面があった。

 

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【裏編集後記】起業物語(12)情報販売の光と影

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何事にも光と影がある。

 

2004年12月14日は、情報起業業界の

 

「ビッグバン」

 

とも言える日。

 

個人レベルの起業家でも、コンテンツ販売で1日に

数千万円を売り上げられるという事実。

 

この事実がもたらした光と影は・・・

 

【光】

 

・コンテンツがお金を生むということを広く

 世に知らしめた。

 

・個人起業家でも、ネットを使いコンテンツを

 販売することで、大きな利益を手にできる

 という可能性を実績を持って世に示した。

 

・アフィリエイターとの連携で、爆発的な売り上げ

 と利益が生まれることが分かった。

 

・メールマガジンを起点とした情報販売の方法と

 アフィリエイトの方法が確立された。

 

【影】

 

・情報弱者である人を相手に、煽り売りをする

 ことで、「情報を必要としていない人」も、

 情報を買ってしまう可能性が出てきた。

 

・アフィリエイト報酬目当ての過剰な販売方法が

 出てきた。

 

今でこそ落ち着いてはきているが、大きなお金が

動く世界だから・・・

 

欲望が渦巻くドロドロとした部分も当然出てきて

いた。

 

しかし・・・

 

インターネットビジネスが個人に大きな力を

もたらすことも実証できたわけで。

 

どんなことにも当然、光と影があるということが

体感できたのだった。

 

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【裏編集後記】起業物語(14)無料面談

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2004年7月19日にメルマガ創刊。

 

創刊時の発行部数は3400部程度。

 

無事に、新着メルマガランキングで1位を獲得し

読者も加速度的に増えた。

 

知り合いのお肉屋さんをコンサルする企画も評判が

良かった。

 

もちろん、これだけで満足するわけはなく・・・

 

次の企画を考えてみた。

 

それは「メルマガの読者さんと会う」という、

書いてみれば、これだけの企画。

 

ただ、当時(今もか?)メルマガの発行者が読者と

無差別に会っていくというのは、誰もやっていない

企画だった。

 

最初は2、3名の方とお会いできればいいな・・・

 

という思いで、大阪出張の時に「ついでに」告知を

してみた。

 

告知後すぐに10名以上の方が集まった。

 

最初は、何の目的意識もなく始めた無料面談では

あったが・・・

 

後々、大きなムーブメントを創り出すことになる。

 

始めた時には、その後のことは予測できない。

 

だから何でも始めてみるべきだと僕は思っている。

 

この「哲学」みたいなものは、この無料面談の

爆発で得られたもの。

 

もちろん、無料でやることの光と影も、多く

体感できた。

 

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【裏編集後記】起業物語(15)無料面談の効果

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無料面談は、4年で4500名以上の方とお会い

した。

 

全盛期?には、1回募集すると、東京だけで

 

225名

 

も集まったことがあった。

 

5名で90分が1セッション。

 

このセッションを1日4回。

 

つまり1日で20名の方とお会いする。

 

そしてこれを12日繰り返して、ようやく

終わるという・・・

 

体力も精神力も消耗するイベントだった。

 

10時から19時まで、休む時間もほとんどなく、

参加者の意見を聞き、アドバイスを続ける。

 

当たり前だが僕は眠ることができないし、質問には

的確に答えていく必要がある。

 

だから、集中力を切らす事ができない。

 

一度、あまりにも疲れてしまい、面談終了後、

そのままソファで朝まで眠ってしまったことも

あるぐらい。

 

これを無料で、ずっと続けた。

 

無料面談をこれだけやって、何が起こったか?

 

まずは「光の部分」、つまり「メリット」を考察

してみる。

 

(1)信頼が生まれた

 

(2)人気が出た

 

(3)意図せず、強いマーケティングとなった

 

(4)精神的な忍耐力が養成された

 

(5)知識と経験が増えた

 

(6)会話が上達した

 

思いつくだけでこれだけの効果があった。

 

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【裏編集後記】起業物語(17)無料面談の影

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メリットが大きかった無料面談だけれど、「影」の

部分も存在する。

 

こういう部分を吐露するのは勇気がいるが・・・

 

正直なところを書いてみる。

 

(1)おかしな人に毒される

 

(2)時間と労力の無駄

 

無料面談のデメリットはこの2つに集約される。

 

(1)おかしな人に毒される

 

これが最大のデメリット。

 

無料だと、「それなり」の人が多く集まる。

 

ビジネスの面談だけれど、ビジネスマインドは

おろか、

 

「人としてどうよ、それ?」

 

というレベルの人までいる。

 

「無料面談は、畑岡がビジネスパートナーを

 見つけるためだけにやっているから、そうで

 ない人には冷たい」

 

と、ブログで書かれたことがあった。

 

「親切そうだが目が笑っていなくて怖い」

 

と、影で言われていることも人づてに聞いた。

 

その他、あることないこと言われるわけで。

 

無料で懸命にアドバイスしても叩かれるわけで。

 

馬鹿な見解すぎて呆れてしまったが、こういう

ことを言われると、やはり凹むわけで。

 

強気に、

 

「凹まないし、アホは相手にしない」

 

とも言いたいが、そんなに強い人間はいない。

 

ヤなことを言われたら、やっぱりイヤ。

 

心は強く持っているつもりだが、そんな僕でも

多少は毒された。

 

(2)時間と・労力の無駄

 

得られた成果からすると、無駄とも言えないが・・・

 

その時間を他の「継続収入が発生する」ビジネスに

当てることができていればどうなったか?

 

もう少し稼げるようになったのでは?

 

という思いもある。

 

ただ、これについては過ぎた過去のことであり、

検証不可能。

 

メリットの方が大きかったと信じるほかはない。

 

ということで、無料面談を総括すると・・・

 

メリットが大きかったが、毒される部分もあった

 

ということになる。

 

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【裏編集後記】起業物語(19)メルマガアフィリ

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メルマガでのヒネリとして、面談をして、述べ

4500名の方と会った。

 

ただ・・・

 

ヒネリはそれだけではない。

 

メールマガジンを使って、アフィエイトを積極的に

行った。

 

今でこそ、メルマガと言えばアフィリというほど、

誰でもやっていて、逆に「やっていない方」が

目立つぐらいだが・・・

 

当時は、メルマガアフィリで稼いでいる人は、

それほどいなかった。

 

そういう中で

 

(1)最初のアフィリエイトでは3日で30万円

 

(2)一晩で70万円の報酬

 

(3)旅行しながら100万円以上の成果

 

などをメルマガだけで達成していった。

 

上の3つの事例は、創刊後5ヶ月以内のもので、

金額は小さいが・・・

 

今から5年以上前の時点で、アフィリエイト報酬は

月額100万円を超えるようになっていた。

 

当時から

 

【部数】×【精読率】×【紹介方法】

 

この3要素のアップを意識しており、これは今でも

変わらない。

 

サイトアフィリエイトだと

 

【アクセス数】×【キーワード】×【商品・レター】

 

ということで、3つの要素は、やはり変わらない。

 

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【裏編集後記】起業物語(20)アフィリの真髄

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メルマガアフィリエイトのノウハウを、拙著

 

「メルマガウハウハモード」

 

より抜粋。

 

6年前のコンテンツだが、今でもふつーに通用

する。

 

というか、これ以外のものはいらない。

 

自分自身、複雑なことを考えて泥沼にハマることが

あるので、それを戒めるためにも掲載してみる。

 

(ここから)

 

【部数】×【精読率】×【紹介方法】

 

この1行の簡単な公式に儲けの「すべて」が凝縮

されています。

 

私が常に心がけていること。それは・・・

 

→ メールマガジンの【部数】を費用対効果的に

 増加させる。

 

→ 面白い文面でノウハウを提供して【精読率】を

 アップさせる。

 

→ 売込みだとはわからない【紹介方法】で

 アフィリエイト収入を得る。

 

本当に、この3つだけ。

 

それ以外は考えていません。

 

といいますか、考える必要がないんです。

 

この3つがうまくいくと、儲けはとてつもなく

大きなものになってきます。

 

もし、あなたがこれからメールマガジンを発行

しようとされている場合はこの3つの要素を

それぞれ高めることに集中してください。

 

ほかの事は一切考えなくてもオッケー(キッパリ)。

 

もし、あなたがすでにメールマガジンを発行されて

いるのであれば、そしてあまり儲かっていないので

あれば、この3つの要素を見直してください。

 

あまりにも重要な公式ですから、くどいようですが

再度書きます。

 

メールマガジンでの儲け =

 

【部数】×【精読率】×【紹介方法】

 

です。

 

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【裏編集後記】起業物語(21)会社設立

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2005年7月末。

 

有限会社自由人を設立。

 

今となって思うのは、会社名に「自由人」と

いうのはあからさまに「仕事しない」と宣言して

いるようなものなので、どうかと思うが・・・

 

この会社を通じて

 

(1)精神的自由

 

(2)時間的自由

 

(3)経済的自由

 

の3つを獲得しようと考え、ネーミングをした。

 

僕の見解では、(1)と(2)については簡単に

達成できる。

 

なぜか?

 

それは「人と奪い合うものではない」から。

 

そして「存在が見えない」から。

 

「精神」や「時間」は基本的に量が限定されて

いるわけではない。

 

「精神」については、個人が内なるものとして

それぞれ所有しているものだから、例外的な

極端な強制力が無い限り奪われるものではない。

 

今の日本で生活している限り、誰もが達成して

いる自由と言える。

 

「時間」については、この世で最も平等に個人に

分配されているものだし、日本では、多くの

人が、この自由を満喫できる環境にある。

 

特に起業をしてしまえば、自分の時間は自由自在に

使うことができるわけで。

 

ということで、実際の「自由人」の意味は

 

「経済的自由の獲得」

 

に、限定されるかもしれない。

 

自由人とは「経済的自由を獲得」した人のこと。

 

僕もそこを目指して起業街道を歩き始めた。

 

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【裏編集後記】起業物語(22)ネット起業塾開催

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2005年9月~12月の4ヶ月間で、

 

【畑岡ネット起業塾】

 

を開催した。

 

当時はミクシィが黎明期から成長期に入るころで

にわかに参加者が増えて盛り上がりつつあるころ

だった。

 

ミクシィの「マイミク」は、面談でお会いした方を

中心に500名を超えていた。

 

よくよく考えてみると、リアルに知っている仲間が

500名以上いて、それがネットで一覧できるのは

得難い体験。

 

今の自分がフェイスブックでそれを達成できるかと

言えば、無理だと考える。

 

リアルに会う人数が、その頃に比べて10分の1

以下だから。

 

さて・・・

 

ネット起業に興味のある仲間が500名以上、

しかも、ほぼ全員とリアルに会ったことがある

この環境だから

 

「日記の精読率」

 

が、異常に高かった。

 

何気ない日記でもコメント多数。

 

コメント上限の200を超えることも2度。

 

旅行しました~車を買いました~食事しました・・・

 

そういう日常の出来事に大きな反応があり、しかも

 

「全てのコメントに必ず返信する」

 

という、僕の対応が評価されたのか、ミクシィ

日記の盛り上がりは加速していった。

 

ある日・・・

 

日記だけでは面白くないということで、ビジネスの

ネタを書いてみた。

 

この日記にも、もちろんコメントが多数。

 

そこで、コメントに対してコンサルティングや

アドバイスを行ってみた。

 

つまり、ミクシィ日記と、そのコメント欄を利用

した、ネットコンサルティング。

 

これも予想以上の反響があり・・・

 

「ここでコンサルティングサービスをすれば

 

 いいんじゃないか?」

 

と発想するに至った。

 

思いついたら、即行動。

 

ミクシィの日記で

 

「4か月:10万円のコンサルティングサービス」

 

の募集をした。

 

結果、230名を一気に集客。

 

http://ameblo.jp/h-hataoka/entry-10780930376.html

 

会社設立後の最初のプロジェクトは

 

「売り上げ的」「マーケティング的」

 

には成功した。

 

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【裏編集後記】起業物語(23)ネット起業塾の実際

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ネット起業塾は、

 

「売り上げ的」「マーケティング的」

 

には成功したものの・・・

 

内容的には、微妙な部分があったと反省している。

 

サービス内容は

 

(1)面談への参加権(東京・大阪)

 

(2)ミクシィでのコンサル~ノウハウ提供

 

の2本柱。

 

(1)は今まで通り普通に面談をしていれば

よかったので問題はない。

 

微妙なのは(2)のサービス。

 

これは、毎日続ければよかったけれど、当時の

僕の力ではそれができず・・・

 

※「さぼり癖」とも言う

 

内容が薄くなってしまった。

 

当然、クレイムも何件かいただいた。

 

今は、アウトプット量も多いし、書くのが苦痛では

ないが、当時の僕の力量ではそれができなかった

のかもしれない。

 

あと・・・

 

無料だと張り切るが、お金を貰った途端にそれが

プレッシャーになるということにも気がついた。

 

これは一般的な感情らしいが、プロとしては失格。

 

自分のパワー不足で、塾生には迷惑をかけたと

認識している。

 

ただ、ネット起業塾という名前の割には、リアルに

会うことが多かったため、プロジェクトが複数立ち

上がった。

 

塾生同士の出会いから、ビジネスに発展したケース

も多かったと聞く。

 

ネット起業塾を振り返ってみると

 

・集客的には大成功

 

・ネット上でのコンサルティングは失敗

 

・リアルな出会いが多く、ビジネスが充実

 

という3つの結果を得た。

 

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【裏編集後記】起業物語(24)経営者の勘?

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ネット起業塾を開催中に・・・

 

面白い人達を紹介された。

 

アフィリエイトサイトを量産するソフトを作って

稼いでいるという人達。

 

当時、つまり2005年後半は、

 

・アフィリエイトで稼いでいる人達がいる

 

というこが認知され始めた頃だった。

 

そして・・・

 

・コッソリとツールを使って荒稼ぎする人

 

がいるらしい、ということも分かってきた時期

だった。

 

ただ・・・

 

そのツールは、稼いでいる人が自分のためだけに

こっそりと開発をして作っているという状況。

 

世の中に広く出回ってはいなかった。

 

アフィリエイトソフトを開発して、そしてそれを

使って自らも稼いでいる人と出会えたので、

僕は

 

「これは大きな商売になるな」

 

ということが、直感で分かった。

 

しかも、すでに

 

・ツールは開発済み

 

・そのツールを使っての実績もある

 

・僕は副業系のリストを大量に持っている

 

という、営業環境が完璧に整った状態。

 

話を受けたのが2005年10月。

 

3ヶ月間準備をして、2005年12月に集客を

開始しようという計画になった。

 

レターは当時としては、僕が出せる力を全て

出して、精度の高いものを作り上げた。

 

開発には、実績をさらに出すために、僕が、

稼げるキーワードを1つ提案。

 

そのキーワードは2ヵ月後には、月額50万円を

生み出すまでになっていた。

 

キーワードさえ間違えなければ、ほんの数ヶ月で

給料以上に稼げる・・・

 

このことを全面に押し出し、しかも1時間で、

何千ページも作ることが出来るという、

ショッキングな事実もだしながら・・・

 

集客を開始した。

 

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【裏編集後記】起業物語(25)集客爆発

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2005年12月9日。

 

僕のメールマガジン(当時3万部ほど)を使って、

集客を開始。

 

広島で面談を終えた後、新幹線で博多に向かう途中、

小倉駅で停車した合間を狙ってメルマガを配信。

 

※当時は「エッジ」という回線を使っていたが

※新幹線が停車中でないと接続できなかった

 

新幹線が無事に博多に到着し、ホテルに

チェックインしてパソコンを見てみると・・・

 

1時間ほどの短い間に、200件以上の申し込みが

あった。

 

・6ヶ月で40万円の高額サービスが

 

・たったの1時間で

 

・200本以上売れた

 

この時の感覚や気持ちを聞かれることが、未だに

ある。

 

当時、この、爆発した集客を見て、僕は

 

「当然かな~」

 

ぐらいの意識で、高揚感を覚えることはなかった。

 

冷静に考えてみると、これだけの人にこれだけの

お金を支払ってもらうということはあり得ない

体験なのだから、もっと謙虚に受け止めるべき

だったとも思う。

 

つまり、僕は「高慢」だったわけで。

 

これだけのお客さんを集めながら「当然だろ」

ぐらいに思っていたのは、どこかに「慢心」や

「高慢」があったと判断している。

 

この体験が、僕の

 

「爆発しないと気が済まない」

 

という思考を増長させ、その後の成長を阻害

することになるのだが・・・

 

それはまたの機会にでも書くことにしよう。

 

話がそれたが、このアフィリ塾は120時間の

集客で530名を集めた。

 

集客的には大成功。

 

ただ、集客中に、各方面から叩かれた。

 

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【裏編集後記】起業物語(26)新しいことを始めると

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アフィリ塾で、サイトを自動生成するソフトを

広く提供することになったわけだが・・・

 

今でこそ当たり前になっている事でも、当時は

大きく叩かれた。

 

賛否両論渦巻く中で、僕は下記のメッセージを

発した。

 

(ここから)

 

しかし一方で・・・

 

いろいろな疑問や不安の声、批判、さらには

誹謗中傷までいただいておりますから、その件に

ついて書いておきますね。

 

個々の疑問点については後ほど詳細に書きますので、

まずは人間の心理面、特に

 

「成功を遠ざける心理」

 

について、説明します。

 

人間は、誰でも元来「保守的」なもので、身の

回りに変化が起こることを本能的に嫌う習性が

あります。

 

●変化に対して批判的になったり懐疑的に

 なったりする習性がある

 

ということですね。

 

例を挙げましょう。

 

明治維新の際に、蒸気機関車が日本にやって

きました。

 

当然、人々の反応はさまざまです。

 

その反応の中に

 

「あんな鉄の塊はけしからん!わしの馬で

 

  競争を挑んで追い抜いてやる」

 

と、意気込んだおさむらいさんがいました。

 

そして機関車と競争をしてみると・・・

 

結果は言わずもがな。スピードも航続距離も

圧倒的にかなわない。

 

もちろん惨敗です。

 

革新的なことが目の前で起こると、人間誰しも

軽いパニックに陥ります。

 

新しいものへの恐怖も、もちろんあるでしょう。

 

ですが、だからとっいってそれを否定すると、

このおさむらいさんのようなことになって

しまいます。

 

馬に乗ることを否定はしませんが、目的地に

できるだけ早く到着することが求められている

のなら・・・

 

一度は機関車に乗ってみるのもいいと思いませんか?

 

目的地まで安全にすばやく到着できるのですから。

 

(ここまで)

 

今でも、この考えは変わっていない。

 

ストレートに言ってしまえば・・・

 

新しいことをするときに「否定的な発言」をする

輩は、最低の人間だと考えているわけで。

 

このマインドが、僕が新しいことをして稼いでいる

原動力になっている。

 

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【裏編集後記】起業物語(27)お人好し

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アフィリ塾のプロジェクトの内幕について、

ドロドロとした話しを書こうと思う。

 

アフィリ塾プロジェクトでの僕の役目は

 

(1)集客

 

(2)塾の企画

 

(3)塾の運営

 

(4)塾の全責任の所在

 

(5)経理業務

 

(6)セミナーなどの事務業務一切

 

この6つ。

 

開発部隊の役目は

 

(1)ソフトの開発~改良

 

(2)ソフトとSEOのサポート

   ※高度なものは別料金

 

というものだった。

 

今、この内容でやるなら、僕は利益の70~80%

をいただくことにしている。

 

・集客(商売の肝)

 

・プロジェクトの全責任を負う

 

・顧客対応をする

 

という、一番タイヘンな部分を担っているから。

 

ところが・・・

 

当時は、

 

「誰にでも成功して欲しい」

 

「お金はたくさん払う」

 

という、経営者としては失格な「お人好し」だった

から、

 

×利益の50%

 

を、渡すという契約にした。

 

これについては、未だに「馬鹿だね~」と仲間に

からかわれているが、当時はそれでいいと考えて

いた。

 

アフィリ塾のプロジェクトが結果的に失敗だと

思っているのは、まさにこういう「経費」の

部分で、今でも反省している部分。

 

この文章を読んでいる方で、ソフト開発者が

いたら驚かれると思うが・・・

 

アフィリイエト量産ソフトの制作・サポート

 

という業務に、実は1億円近くのお金を支払う

結果となった。

 

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【裏編集後記】起業物語(28)経費膨らむ善と悪1

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ソフト開発に、利益の半分を成功報酬として与える

という大失敗だけではなかった。

 

「ずっと稼げる」

 

と、勝手に勘違いをしていた僕は、さらに経費を

膨らませていった。

 

ただし、膨らんだ経費にも、後悔しているものと、

そうでないものがある。

 

経費をざっと書いてみよう。

 

(1)セミナーDVDを塾生全員に送付

 

   月額100万円×6

 

(2)会社のロゴ作成

 

   600万円

 

(3)ツタヤDVD制作

 

   300万円

 

(4)卒業旅行

 

   500万円

 

(5)月に2度のセミナ~懇親会

 

   月額75万円×6

 

(6)コンサルティング

 

   500万円

 

今、ざっと思い出しても、これだけの経費が膨らんで

いた。

 

※その他にも細かい経費は多数

 

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【裏編集後記】起業物語(29)経費膨らむ善と悪2

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各項目について、その必要性を考えてみよう。

 

(1)セミナーDVDを塾生全員に送付

 

これは「認識価値」を高めるためには必要だった

かもしれない。

 

あったら、顧客満足度は高まっただろうが、

無くてもそれほど変わらなかったと判断している。

 

つまり600万円の経費は必要不可欠なものでは

なかった。

 

サーバーに動画をアップするだけだと、月額5万円

程の経費でできただろうから・・・

 

半年で500万円のお金を失った計算。

 

(2)会社のロゴ作成

 

これはもう、恥のレベル。

 

経営書にも載っているが、少し稼いだ社長が、

広告代理店などの口車に乗せられて、利益には

一切貢献しないブランディングをし始める。

 

コーポレート・アイデンティティを作るために

ロゴを考えてもらったり、ガイドラインを作って

もらったり・・・

 

正直、これはしなくてもよかった。

 

純粋に600万円の損失。

 

お金を儲け始めると、いろいろな人が近寄って

来て、商売の話しを持ちかける。

 

今は僕がしっかりとしているのでそういう事は

ないが・・・

 

当時は、ハイエナがたくさん寄ってきたなぁ、

と、逆に思い出深い。

 

そういう輩は、長期的に稼げず、どこかへ

消えてしまったけれど・・・

 

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【裏編集後記】起業物語(30)経費膨らむ善と悪3

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経費の各項目について、その必要性をさらに

考察してみる。

 

(3)ツタヤDVD制作

 

当時の企画としては面白かったが・・・

 

必須のものではなかった。

 

他のものでも代替可能だし、300万円も使う

費用はなかった。

 

こういう、一見「派手」なマーケティングは

お金はかかるものの、実際の利益に結びつく

ことは少ない。

 

この300万円があれば、メルマガのリストを

集めるか、人を雇って新しいビジネスを創る方が

利益を生む可能性が高い。

 

(4)卒業旅行

 

この卒業旅行は、今でも仲間と、思い出として

語り合う事が多い。

 

ただ、経費500万円は使い過ぎ。

 

せめて、こちらの負担が200万円程度になる

ように工夫はすべきだった。

 

2回の旅行で1000万円ほどの経費。

 

この経費を圧縮する努力をしなかったのは

経営者としての大きなミス

 

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【裏編集後記】起業物語(31)経費膨らむ善と悪4

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経費の各項目について、その必要性をさらに

考察してみる。

 

(5)月に2度のセミナ~懇親会

 

これは必須のものだった。

 

ノウハウをセミナーで公開し、それを動画

コンテンツとして増やしていく。

 

懇親会で親睦を深める。

 

半年で40万円ほどの高額サービスだったので

それぐらいは必要かな・・・と。

 

よって、75万円×6=450万円は、完全なる

必要経費。

 

これは今でも間違っていなかったと考えている。

 

(6)コンサルティング

 

これは、ブランディングと同じで、「恥」な

レベルの失敗。

 

支払わなくても、売上~満足度に全く影響は

なかった。

 

・・・・・

 

ということで、(1)~(6)の経費をそれぞれ

考察してきたが・・・

 

人件費を除いても、これだけの無駄遣いをして

きた。

 

1プロジェクト、半年で2000万円ほど。

 

1日10万円以上の無駄遣い。

 

よく、「税金取られるから経費を使おう」なんて

ことを言う人がいるが、その経費が利益を生む

可能性がない場合は

 

【100%間違い】

 

だと、断言できる。

 

単なる無駄遣いだと2000万円が全部消える。

 

もし、使わずに置いておいたら、事業税を

差し引いても、1200万円が残る。

 

だから、どんなに税金が高くとも、

 

【利益を生まない経費発生は100%間違い】

 

だと、断言できる。

 

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【裏編集後記】起業物語(33)怒り爆発2

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開発パートナーは、

 

「畑岡さんの塾と内容が重ならないものにします」

 

と、約束をし(大阪の喫茶店だったな)、

彼は2期からは、別路線で「ほそぼそ」とツールの

提供をするとのことだった。

 

ところが・・・

 

蓋を開けてみると、僕が企画した塾の内容を全て

パクった塾を作り上げ、しかも、僕が集客した

お客をコッソリと引き連れて、立ち上げようと

していることが判明。

 

・ソフト開発だけで1億円近くの金をもらい

 

・それだけでは足りないと契約外の金を要求し

 

・約束を反故にして同じ内容の塾を立ち上げる

 

さすがに、僕もこれには怒り、徹底的に糾弾。

 

法定に立つことも辞さない構えを示した。

 

その時のメルマガは下記の通り。

 

※一部抜粋

 

(ここから)

 

「集客力」と「ブランド力」があれば、通常

プロジェクトの8割の利益をもっていっても

文句は言われません。

 

なぜか?

 

これは単純な理論ですね。

 

【集客力、ブランド力のある人は一握り】

 

なのに対して

 

【売れそうなネタを持っているだけの人は大多数】

 

だからですね。

 

たとえば、あるソフトを販売するときに

 

○そのソフトを売れる人は少ない

 

けれども

 

○そのソフトを作れるひとは大勢いる

 

という状態が多いということなんです

(例外はありますよ)。

 

要するに

 

●代わりがたくさんいるところにお金は集まらない

 

という厳しい現実があるわけです。

 

さて・・・

 

私はネット業界では「集客力」も「ブランド力」も

あります。

 

※今日は遠慮せずにモノをいいますね(笑)

 

これは誰もが認めるところでしょう。

 

ですから私が集客にかかわるプロジェクトでは、

私はそこから生まれる利益の80%を持って

行ってもいい。

 

実際、私とプロジェクトを組もうという人は例外なく

 

「畑岡さんの好きな分だけお取りください」

 

とおっしゃいます。

 

しかし・・・

 

あらゆるプロジェクトで、私は利益をきっちりと

「折半」してきました。

 

それはね・・・

 

●「人を豊かにする」という人生のミッション

 

があるからです。

 

きれいごとを言う人はたくさんいます。

 

でも、その人が本当に何を考えているのかは

 

「実際の態度と実績を見ればわかる」

 

わけですね。

 

ですから、私はパートナーに過剰にお金を落として

きました。

 

そして、それが口コミで広がり人が人を呼んで・・・

 

今では25本のプロジェクトを抱えるに至ったのです。

 

とにかく・・・

 

私の名前で集客して、私が全責任を負っても50%

しかいただかないようにしているわけですよ。

 

今回の【畑岡アフィリ塾】1期プロジェクトでは、

煩雑な経理業務は全部私の会社の負担でしたし、

外部コンサル経費も私の会社で負担しました。

 

ですから、私の取り分って実際40%もないわけです。

 

それでも・・・

 

それでも・・・・・・

 

人生のミッションを達成するためにはそれでいいと

思っていました。

 

でもね・・・

 

でもね・・・・・・

 

見方を変えれば、これってギリギリのセンな

わけですよ。

 

ありえない利益を提供してるんですからね。

 

普通、私が前面に出るプロジェクトで利益の

50%ももらえたら、大喜びでしょう。

 

なのに・・・

 

なのに・・・・・・

 

今回の塾のプロジェクトでは、起業して初めて

 

「もっと利益をくれ」

 

と言われました。

 

さすがにショックでしたね。

 

参りましたよ、これには・・・。

 

で、私も悩んで、近しいパートナー数名に相談

したんです。

 

「私、間違っていますかね?悪いことしましたかね?」

 

と。

 

みなさん、あきれてらっしゃいました。

 

「ありえない」

 

ってね。

 

そりゃそうでしょう。

 

これだけお金をもらいながら、もっとくれって

言うのはどういう神経なのか、私にはさっぱり

わからないんです。

 

ある方はおっしゃいました。

 

「畑岡さん、あのね・・・

 

人間、お金に対する器ってのがあるんだよ。

 

その器が小さい人に過剰にお金を落とすと・・・

 

器があふれてしまうよね。

 

その場合、金に目が眩んでさらに強欲になる人が

 

多いんだよ。」

 

私の人選ミスと言われればそれまでなのですが・・・

 

まま、そういうことがあったということです。

 

まとめます。

 

これだけの利益を得ておきながら、さらに利益を

要求してくる人間と私は仕事をすることができま

せん。

 

プロジェクトの利益配分を50:50と最初に

取り決めておいたのに、それを途中で反故にする。

 

こんなにルールを守れないい人間を私は信用する

ことができません。

 

今回のソフトの開発費は、私の知り合いのSE

会社に見積もっていただくと●●●万円でした。

 

それの10倍以上の額、●●●●万円を支払って

いるのに、さらにくれという、マインドの低い

人間と私はビジネスはできません。

 

それだけ支払ったんだから、1人のSEにだけ

作業させずに、もっとたくさん人を雇って、いい

ソフトにしてほしかったというのがホンネです。

 

こちらが指摘するまで、そのSEを紹介さえして

くれなかった・・・

 

そのSEは、結局1度も打ち合わせにこずに、

しかも工数見積さえも全くなし。

 

そういう顔の見えないビジネスをする人とは

いっしょに仕事できません。

 

ですから、【畑岡アフィリ塾】2期では、支払った

お金の分だけシステムをどんどん開発をして

くださる会社と組みました。

 

今回のパートナー会社は、開発に当たり、SEを

3名から6名に増員してくださいました。

 

工数見積もりも詳細まで出してくださっています。

 

これだけのプロジェクトなんです。

 

それが当たり前でしょう。

 

大きな利益を得ながら、1人のSEだけに開発を

任せる・・・

 

そしてさらに利益をくれ・・・ですか?

 

そんなにお金欲しいですか?

 

ありえないです。

 

(ここまで)

 

自分は名前も顔も出さず、責任をとらないでいい

バックヤードの業務をしておいて、1億円近くの

金を得ておきながら・・・

 

もっとカネくれ、と言っただけでなく、人と同じ

塾を作り、客もコッソリと盗む。

 

まぁ、こういう人間もいるんだな・・・と。

 

大企業との契約書は、ずいぶんと細かいところ

まで詰める意味が、この時に分かった。

 

仕事もせずに、金だけ要求する輩が多いわけで。

 

紳士協定が通じないヤツも多いわけで。

 

この体験から、僕は基本的に、集客する人が

80%以上持っていく、そして支払いは成功報酬

のみという原則を貫いている。

 

この、大きなミスは、全て僕の人選ミス、

ビジネス設計ミスだった。

 

その点、未だに反省をしているし、同じ失敗を

しないように心がけている。

 

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【裏編集後記】起業物語(34)一段落

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僕の塾のパクリを作り、客や講師をコッソリと

盗んだ輩との揉め事は、相手が塾を立ち上げない

ことで、一段落した。

 

特に話し合いもしなかったが、どうやら、訴え

られることを恐れたらしい。

 

こういう揉め事の面倒なところは、当事者は

両方、悪者であるかのように評価されること。

 

特に日本では。

 

相手はもちろん、同じ内容の塾を、人の客を

盗んで立ち上げようとしたわけだから当然、

責められる。

 

そして、怒った僕の方も、なんだか感じが悪い

キレる人として、評価される部分も出てくるように

なった。

 

事件の詳細を評価できる人はいるわけがなくて、

ただただ「印象」で評価されることが多いから

困ったもの。

 

特に情報弱者は、ほとんど、自分の感情だけで

判断してしまうから。

 

ま、それはいいとして・・・

 

一段落してからは、順調に集客数を伸ばし、

 

継続率70%:約370名

 

新規入会  :約350名

 

合計塾生数 :約720名

 

という、大きな塾になった。

 

もちろん、新しい企画も積極的に取り入れ、

 

・初心者講習会の充実

 

・初心者講習会のDVDを塾生に送付

 

・新しいアフィリソフトの提供

 

・稼ぐためのチェックリストの提供

 

など、積極的に行った。

 

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【裏編集後記】起業物語(35)万能感による失敗1

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アフィリ塾の運営が一段落してきたころに、

僕は大きな失敗を繰り返すことになる。

 

「自分は何でもできる」

 

という万能感とでも言える感情があった。

 

たまたまバブルに乗れただけかもしれない。

 

たまたま自分のやっていることが当たった

だけかもしれない。

 

そういう可能性も多分にあるのに、こういう

間違った想いを心に抱いていた。

 

実力がないのに「自信」があると、タチが

悪い。

 

翼がないのに「これぐらいは飛べる」と

崖からダイブ。

 

で、たちまち落下して、大怪我。

 

まさに、自業自得。

 

自分の実力の範疇で地味にやっていればいい

ものを、事業を「門外漢」な部分にまで

展開するから、無残な失敗を繰り返すこと

となった。

 

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【裏編集後記】起業物語(36)万能感による失敗2

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まずは、

 

物販サイト+アフィリエイトASPを作る

 

というプロジェクトの失敗。

 

その理由を考察してみる。

 

(1)自分自身への過剰な自信:自惚れ

 

(2)金払えば誰かやるだろうという考え

 

この2つが失敗の理由じゃないかと。

 

(1)自分自身への過剰な自信:自惚れ

 

日本初のコンテンツ販売ASPである

 

「インフォストア」

 

を立ち上げて、ゼロから、月商1億円を達成。

 

アフィリ塾では120時間で2億円の集客達成。

 

この2つで過剰に自信を持つようになっていた。

 

「オレ、すごいやん」

 

「なんでもできるやん」

 

「ぜんぶ成功するやん」

 

と・・・

 

いや、自信じゃないな、ここまで行けば単なる

 

「自惚れ」

 

で、手のつけようがない。

 

地に足の付いた自分への信頼を

 

「自信」

 

というのであれば、「自惚れ」は

 

【自信の空回り】

 

と言い換えることが出来るかも知れない。

 

結果、自信ばかりが上っ面を走り、実質的な

努力をしなくなる。

 

この失敗プロジェクトは、

 

「立ち上げれば”何故か”成功するだろう」

 

ということを思っていたのだろう。

 

実質的な努力は、僕は何もしなかった。

 

だから、当然のようにプロジェクトが頓挫した

だけのこと。

 

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【裏編集後記】起業物語(38)累計10億円

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2006年1月17日、アフィリ塾1期が始まって

間もないころ・・・

 

インフォストアでの情報取扱高が

 

累計10億円を突破

 

した。

 

今から考えてみると、当時は、やることなすこと

全て順調に行っていた。

 

コンテンツ販売の市場が成長期になりつつあった

この時期に、数年前から仕掛けていたビジネスが

全て結実していた。

 

自分ではこのころの状態を「まぐれ当たり」と

評価してきたが、よく良く考えてみると

 

「種を撒く」

 

という、ビジネスで最も大切な行為を続けて

いたからこその成果。

 

宝くじに当たるような、そういう当たりではなく、

 

「努力を礎とした当たり」

 

だったと言える。

 

収穫は楽しいものだけれど、

 

(1)種を撒き

 

(2)それを飽きずに丁寧に育てて

 

ようやく、果実を手に入れることができる。

 

そして、これには「例外」がない。

 

アフィリ塾の爆発も、実は(1)と(2)を

コツコツと実践していたからこその成果。

 

メルマガを創刊してリストを集め(種蒔き)

 

意義ある内容を書いたり、無料面談をして読者

との親密性を高め(育てる)

 

そして、5日の集客で2億円の売上(収穫)

 

という結果になった。

 

インフォストアも、大企業との提携が面倒では

あったが、苦労をした甲斐があり、1~2年して、

大きな収穫を楽しむことができた。

 

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【裏編集後記】起業物語(39)レンタルDVD撮影

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勢いがあるときには、実に多くの企画が飛び込んで

来る。

 

ツタヤでレンタルDVDをレンタルしないか?

 

という話が飛び込んできたのもこの時期だった。

 

アフィリ塾の運営で忙しくしていた2006年2月、

DVDの撮影を行った。

 

大きなカメラで撮影されるのは初めての体験だった

けれど、面談で話しをすることには慣れていたのか

あまり緊張もせずに、撮影は進んだ。

 

30分、ノーカットでカメラを回しきったのも

僕だけだったらしい。

 

インタビュアーの人が逆に緊張をしていて、その

様子を楽しむ余裕もあったほどで。

 

今、こういう企画を持ちかけられたら、絶対に

断るが、当時は

 

「面白いことは何でもやってみよう」

 

という、後先全く考えない思考だったので、1回

150万円ほどの制作費も何とも思わず、挑戦

してみた。

 

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【裏編集後記】起業物語(40)レンタルDVD拡販

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ツタヤDVDのレンタルは、実は150万円の

撮影費を払い、撮影が終わった時も

 

「正式に決まっていない」

 

状態だった。

 

つまり、最初に、起業家何名かのDVDを作り

テストマーケティングをする。

 

それの回転率が悪ければ、プロジェクトは頓挫。

 

だから、最初のテストを成功させる必要があった。

 

テストマーケティングはツタヤの

 

馬事公苑店

 

 

新橋店

 

の2店舗で行われた。

 

ここで、僕のDVDの回転率が悪いと、今回の

企画は頓挫する。

 

どういうふうになるかわからなかったけれど・・・

 

まずはメルマガで徹底告知をすることにした。

 

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【裏編集後記】起業物語(43)2006年バブル

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自分がネットでやってきたことを思い返すと、

2006年はやはり特別な年であり、

 

バブル

 

であったと言える。

 

個人がネットで商売をして稼ぐというモデルが

一般的に浸透してきた年であり、僕は、やや先行

してそのモデルを確立していたので、

 

ある程度は

 

その波にのることができた。

 

この年は

 

・アフィリ塾を開始し、大きな売上を得た

 

・ツタヤのレンタルDVDを3本リリース

 

・塾の卒業旅行でベガスに2度行った

 

・法務副大臣と面談をした

 

・ネットマネーなどの雑誌に掲載された

 

・ミリオネア合宿を東京・大阪で開催した

 

・単行本の執筆依頼が5件以上来た

 

・2度目の全国無料面談行脚をした

 

・参加者600名のセミナーで講師をした

 

ざっと思いつくだけでも、これぐらいの出来事が

あった。

 

波に乗るというのは、大切なことで、これが

出来ると、全てのプロジェクトが

 

費用対効果的に

 

半自動的に

 

進んでいく。

 

ただ、

 

(1)乗っている波を上手に降りる

 

(2)次の波にのる準備をする

 

この2点を怠っていると大怪我をしてしまう。

 

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【裏編集後記】起業物語(43)バブルの降り方1

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(1)乗っている波を上手に降りる

 

(2)次の波にのる準備をする

 

この2点を考えてみよう。

 

(1)乗っている波を上手に降りる

 

これは簡単なようで難しい。

 

降りるのは簡単にできる。

 

辞めればいいだけだから。

 

ただ、商売人だったら、そこで発生したリストを

最大限に使う努力はするべき。

 

そこで作ったシステムの再利用を最大限すべき。

 

僕は、一旦会員になってくれたリストの大切さに

気がついていなかった。

 

あっという間に商売を辞めてしまうので、波の

降り方は下手くそだったと言える。

 

今言っても、後の祭りなんだけれど、この時の

ビジネスのクローズの仕方をうまくしていれば、

今でも

 

月額10500円の会員が300名前後

 

は、いたと思う。

 

これが現在100名以下なのは、その時に

システムを工夫して作らなかったから。

 

つまり、波の降り方が酷く下手くそだった

わけだ。

 

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【裏編集後記】起業物語(44)バブルの降り方2

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(2)次の波にのる準備をする

 

これも難しい。

 

波がどこにあるかを見極めるのは難しいし

それがグワッと押し寄せてくる直前に

準備を整えるのは至難の業。

 

ただし・・・

 

今のビジネスに関連するものを作り、様子を

見るということは有効かも知れない。

 

僕は、アフィリエイト塾を2年間運営したが、

その後は積極的に関与しなかった。

 

これは、波にのる準備をしていなかった、つまり

単なる「諦め」で、失敗だった。

 

未だにアフィリエイトの塾やノウハウというのは

売れ続けている。

 

だから・・・

 

アフィリ塾の運営をやめずに

 

(1)自動運営化できる仕組みを作る

 

(2)ツールをブラッシュアップする人を雇う

 

(3)新しいノウハウを検証する人を雇う

 

などをして、塾を発展し続ければよかったわけで。

 

仮に、「アフィリ塾12期」ぐらいになれば、

継続することによる信頼も得られるし、ノウハウも

蓄積できたはず。

 

バブルの時に創り上げたものを、その後も緩やかに

維持をして、キャッシュポイント化する。

 

こういった、強かさも必要なわけだ。

 

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【裏編集後記】起業物語(45)人生最高のセミナー

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2006年8月27日。

 

今までの人生で、一番充実したセミナー講義を

することができた。

 

日本フィナンシャルアカデミーの感謝祭に招待

されたのだ。

 

九段会館に参加者約600名様が集まる中、ゲスト

講師として講演をした。

 

他の有名講師も6名ほど講義をした中で、無名かつ

本題とは逸れた講義内容だったが・・・

 

評価は全講師の中で2位。

 

内容に涙された方もいたというセミナーになった。

 

実は、用意した資料は20分ほどで終ってしまい

残り30分はアドリブで講義をしたのだが、その

内容がよかったらしい。

 

今の日本で起業できることがどれほど幸せか?

 

ということをアドリブで伝えた。

 

無料面談を大量にこなしていたので、こういう

柔軟な対応も、できるようになっていたし、

このことが自信にもつながっていった。

 

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【裏編集後記】起業物語(46)立派な事務所

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2006年8月31日。

 

アフィリ塾1期のみならず、2期の集客も大成功

させた僕は、調子にのってしまい・・・

 

事務所の拡大に手を出した。

 

神田の事務所は、マンションの2部屋を借りて

いたのだが・・・

 

これを1箇所にまとめ、しかも無料面談用の快適な

スペースを用意しようと考えた。

 

100平米、ワンフロアのオフィスを借り、什器や

ソファなども、統一感を出し、快適に過ごせる

スペースに仕上げた。

 

カラーコーディネーターにもアドバイスをして

もらい、

 

”おしゃれな”

 

オフィスになった。

 

当然だけれど、オフィスがおしゃれになると

 

(1)事故満足度

 

(2)社員の満足度

 

(3)お客さんの満足度

 

は、アップする。

 

ところが、この3つの項目には

 

【利益をアップさせる】

 

項目がない。

 

つまり、立派な事務所を構えても、立派な会社には

ならないわけで。

 

いくら快適な事務所にしても、社長や社員の能力が

アップするわけでもなく、来てくれるお客さんの

顧客単価が高くなるわけでもない。

 

このあたりの数字を具体的に考察してみよう。

 

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【裏編集後記】起業物語(47)立派な事務所の悪

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事務所を持つことで、経費は爆発的に大きく

なる。

 

まず、社員をたくさん雇ってみたくなる。

 

僕の事務所は100平米の広さがあり、普通なら

15~20名ぐらいは社員を詰め込むことができ

るが・・・

 

ゆったりとした机を8つだけ用意した。

 

それでも、8席全部を埋めたくなるもので・・・

 

一時期は、本当に満席状態になっていた。

 

事務所が広く立派になることで、副作用として

 

「社員が無駄に増える」

 

可能性が多くなる。

 

次に・・・

 

什器・備品も徐々に豪華になる。

 

20畳以上もある面談用の応接には、大きな

ソファがもちろん鎮座。

 

大きなプラズマディスプレイを設置するテレビ

ボードも幅が2mを超える立派なものに・・・

 

さらにブラインドも床材とあった色・素材のものを

特注。

 

さらにさらに、レンタル観葉植物を大量に発注。

 

本棚も立派にして・・・

 

ということで、什器・備品だけでも200万円

以上が軽く飛んでいった。

 

あとは家賃も当然高くなり、月額50万円程度。

 

だから、小さいとはいえ、それなりの事務所を

持ってしまうと

 

年間数千万円の無駄な経費

 

が発生してしまうことになる。

 

だから、ネット起業家は、事務所がいらない職業

だし、最近はそういうノマド型スタイルが浸透

しているから・・・

 

事務所はできるだけ持たないに限る。

 

事務所を持たないことで浮いたお金は、再投資

するか、将来のために蓄積しておくのが正しい

と、最近は考えている。

 

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【裏編集後記】起業物語(48)20億円突破

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無駄に立派な事務所を構え、社員もなんとなく

増やしてしまっていたが・・・

 

波に乗っているのは、そういう無駄が目立たない

ほどに、稼ぎも増えてきているもので。

 

2006年9月8日に、インフォストアでの情報

取扱高が累計20億円を突破した。

 

今では信じられないことかも知れないが、毎月

1億円以上の取扱高があったにも関わらず、

 

◯システムのトラブルが殆ど無い

 

◯販売ノウハウも問題ないものが多い

 

ということで、手間がかからないビジネスモデル

になっていた。

 

1週間に1時間、バイトの人がメンテナンスを

するだけで、月額100万円以上の営業利益を

もたらしてくれるという状態。

 

もちろんこれが長続きするとは思わなかったが、

僕の心に

 

「また、同じようなモデルを作れるさ」

 

「今、アフィリ塾でも稼いでいるし」

 

という、慢心があったのも事実。

 

こういう、「順調に見えるときに」にこそ

 

・経費を削減し

 

・次のビジネスモデルを執拗に立ち上げる

 

必要がある。

 

今ではそれが分かるが、当時は単なる経験の

ない、にわか成功経営者だったので、そういう

 

一番大切な部分

 

が見えていなかった。

 

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【裏編集後記】起業物語(49)ボランティア

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アフィリ塾1期を開講し、稼ぎに稼いでいた頃、

周りの仲間も、当時の「起業バブル」に乗って、

大いに稼いでいた。

 

相当な余裕もあっただろうし、仲間も最初の

バブルで「消費性向」が高まっていたのか、

高級品~贅沢品も次々に手に入れていた。

 

もちろんそれだけではなく、余った?お金を有効に

使うために、ボランティアも積極的に開催した。

 

仲間と4名で開催した

 

「ウガンダ職業訓練校設立ボランティアセミナー」

 

は、その中でも最も規模が大きいものだった。

 

このセミナーで集まった450万円で、職業訓練校

1校を設立することができた。

 

その他にも、養護学校の生徒をディズニー・ランド

へ連れて行くというボランティアも開催。

 

このころのボランティア経験で体感したことは

 

(1)ボランティアは問題は多いが必要なもの

 

(2)ボランティア団体は胡散臭いものも多い

 

(3)ボランティアの種類が数多くあり選択が困難

 

(4)ボランティアは間接経費無しで行うべき

 

ということ。

 

やってみて初めて分かることも多かった。

 

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【裏編集後記】起業物語(50)ボランティアの難しさ

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ボランティアを実践していて、一番良かったのは

 

「ボランティアというのは、難しいものだ」

 

ということが体感できたことだった。

 

どんなにやっていても、偽善者だと罵られたり、

金持ちは寄付して当たり前だろ、と言われたり。

 

そういう、アレな発言は無視するとしても、

他にも問題点は山ほどある。

 

まず1つに、あまりにも種類が多すぎる、という

問題。

 

自分の人助けの哲学が問われる部分でもある。

 

日本でやるか?それとも海外でやるか?

 

という問題から、誰を助けるか?どういう境遇の

人を救うべきか?

 

考えるとキリがない。

 

どの団体を経由して寄付するかというのも大きな

問題。

 

経費がかかるので、全額が届かないとは言え、

経費率が低く、実践力があるところに寄付を

したいと誰もが考える。

 

しかし、現実はイメージ優先。

 

結果、広告宣伝費を多く使い、立派な事務所の

立派な椅子で快適に仕事をしているような団体に

寄付してしまう結果になったりする。

 

ボランティア利権もあるしな・・・

 

ということで、実践をしていて気がついたのは

 

「正しい寄付」

 

※こういう概念そのものが怪しいけれど

 

というものが、激しく困難であること。

 

ベストは、全額を自分が届け、その後のサポートも

するということだけれど、現実的にできないし。

 

こういうことを考えていると、自分が稼いで周りの

人が少し幸せになるのが最大のボランティアかな?

 

とも思ったりした。

 

続き(後編)はこちらから